庭の楽しみの基本は、生活にいちばん身近な自然のなかでのくつろぎにあります。蛍光灯が自然の光となり、エアコンが木々を揺らす風となり、テレビの映像が青空と緑の景色になる。屋内を一歩外に踏み出すだけで、そこには屋内とはまるでちがった楽しみがひろがります。
しかし、それを実現するには、庭を生活の一部にするための工夫が必要です。直射日光が照りつけるだけの庭や、草の生い茂った庭ではくつろぎは得られません。でも、意外と多くの人が庭にあまり関心をはらわないまま、「庭を生活の一部にするのは無理」と思っているのではないでしょうか。実は、私もその一人でした。
私が家を建てたのは、今から10年前の1998年でした。そのときは庭への興味も、作るだけの余裕もなく、むき出しの赤土のまま放置して数年を過ごしました。
しかし、梅雨になると庭に水溜まりができ、夏には草ぼうぼの荒れ庭になりました。これではいけないと、何年か後に木陰をができるといいなと、とりあえず一本のケヤキを植えました。
この時点ではまだ、明確な考えやプランがあったわけではありません。しかし、いまから思えば、この一本の木が現在のクッキンガーデンの楽しみのはじまりだったのです。
こんな経験からここでは、これから庭を何とかしようと思っている方のために、庭にも園芸にも、デザインにもまったく素人の私が、100%手作りで挑戦したわが家の庭について、そのポイントお伝えしたいと思います。
わが家の庭はいまも現在進行形です。今後も、見直しや工夫を続けて行きたいと思っています。私のような素人の方も、そして専門家の方のご意見も大歓迎です。ぜひ、コメントをお寄せください。
冒頭の写真は、このテーマの扉として選びました。左の写真がとりあえず完成した時点の庭です。右は、そのもととなったプラン図です。両者の間に要した時間は、ちょうど一年間でした。
サスペンションを痛めながら運んだ石をどうするか? ま、取り合えず地面に並べてみます。「遊び」編で思い描いたように配置して二階から眺める。これはなかなか楽しい。色鉛筆のスケッチの実物が眼下に展開するわけですから。
配置が決まったら地面を掘り、小石なんかを叩き込んだ上に接着剤のモルタルを流し、ミカゲ石を敷いていきます。感覚的には、石盤に小石で凸凹を付けた石の根を地面に食い込ませて固定するような作業とでもいえばいいのかな。
石を空間的に配置する場合、こうして石を敷いていけば済みますが、問題は石が際にくるときや、複数の石で面を構成する場合の合わせです。何が問題かというと、端が合わなくなるのです。何しろ基本寸法は30センチですから、合わせる相手に突起があるとこまります。
私の庭の場合、この問題に悩まされたのが階段です。階段の部分は、デッキ、濡れ縁、コンクリートなどの要素が組み合わさっていて、30センチで割り切れないのです。
写真は現在の階段ですが、一段目の右端と三段目の左端が基本寸法と異なります。とくに、後者の石の端には雨樋があります。結果からいえば、写真のように石を切ればいいのですが、当時は自分で石を切るという発想がなく、クルマに石を積んで石材屋さんに行く予定でした。
そんなある日、先駆者に電話をしたことで状況が一変。
「石を切るのに困っていて」
「へ〜、石? 冷蔵庫くらいあるとたいへんかなあ・・・」
「れ、冷蔵庫って、6センチほどのミカゲ」
「そんなん、ディスクで切れる」
とのご託宣。おまけに、「貸したげるわ」。30分後に扁平のレガシィの助手席から現れたのは、ホームセンターで見かけた普通の工具。「え、これで?」と思いましたね。しかし、いや〜、立派に切れますね。すばらしい。石材屋に駆け込もうとした難易度はなんだったのか(^^;)。あのまま石材屋さんを訪ねていったら、どうなっていたんでしょうね(笑)。
右下の写真は、石段の蹴込みとか蹴下げとかいわれる部分です。バラス側はうまくできたのですが、石段の側は、いつのまにか蹴込みがなくなっています。素人らしい計算間違いです(笑)。
前回の「石で遊ぶ」というのは、コンクリートでは表現しにくい点や斜めの線を石で表す、いわば描画の楽しさでした。
しかし、素人が石など扱うものではありません。楽しさどころかとにかく重い。重すぎる。何で石って重いんだろうと、バカな自問をしてみても気がまぎれるのは一瞬だけ(笑)。
私の庭で主に使ったのはホームセンターでいちばんよく目にする30センチ角のミカゲ石です。あらためて数えてみると、これを37枚使っています。倍寸の30センチ60センチのものは13枚。合計重量にすると、1トン弱ありますね(^^;)。
これを排気量1,241ccのクルマで運ぶのはタイヘンでした。イタリアは大理石の産地ですが、だからといってイタリア車が石を運ぶのに強いわけではありません(笑)。ミカゲを4枚も積むと、リアサスペンションがグンと下がる。いやでしたね〜。FFなんです。
でも、こういうときのために、ヘッドライトの光軸が1度刻みで簡単に変更できるあたり、イタリアでは荷物をいっぱい積んで旅行に行くのが普通なんだろうなあと思ったりしたものです。
コンクリートの格子テラスの外観は、シンプルといえば確かにそうですが、ちょっと面白みに欠けます。構成要素としては直線だけなので、これに点や斜線が入ると面白そうです。そこで、格子の発想が邦画にあったので、ついでに日本庭園や神社の写真などを見てみると、思った以上に細長い踏石と小石を敷き詰めたデザインが多いのに驚きました。
それと同時に、飛び石のなかにも、正方形のものを斜めに配置したものも多く見られます。「これって、そのまま使えるじゃない」というのが正直な印象でした。こうなると話しは簡単で、コンクリートとバラスの格子、正方形を単位とする飛び石、45度の配列、これを組み合わせて全体をレイアウトすれば、これもまた何とかなりそうです。だいたいいつも、「なんとかなる」のです(笑)。
近くのホームセンターで調べると、御影石が山積みになっています。基本寸法は30センチ角で、この二枚分にあたる30センチ60センチのものもあります。好都合なことに、格子の単位は幅10センチですから、30センチの御影石は整数倍です。
暗渠を覆う格子のテラスが全体の1/3、残りの半々がそれぞれデッキと植栽エリアです。このままではどうしても、格子テラスから直線的にデッキに向かう動線が強くなりそうでした。直線の格子に視覚が誘導されそうに思えたからです。そこで、格子の中央を斜め45度に飛び石で切り、その先がデッキ脇の地面につながるようにしました。
これで、リビングからデッキに出る室内からの動線と、テラスからデッキを通らずに物置に行ける庭中心の動線と、ふたつの小径ができたのではないかと思います。実際のところ、家庭菜園や草取りの作業をする場合、デッキを迂回できる動線があった方が好都合です。
え、なんで甲殻類? はじめてのコンクリートは実にオドロキの練り物でした。何しろコンクリートなど扱ったことがありません。セメント袋は買ってみたものの、実感がわかないのです。
そんななか、最初に取り組んだのは、菜園側に積み上げた土が溢れないようにするための擁壁づくりです。といっても、既設の境界ブロックにブロックを二段継ぎ足すだけです。そのときモルタルが余り、肥料袋に廃棄しました。翌日その袋詰めのモルタルを見てビックリ。当然のことながらカチンコチンに固まっています。そのとき、なぜか興味がわいてビニール袋をはがしてみると、なんと膨らみや皺が見事に再現された、袋のオブジェができているではありませんか。
「う〜ん、入れ物次第でコンクリートはどんな形にでもなる! 」 その瞬間、冗談抜きに、ビニール遊具を買いに行こうと思いました。買いませんでしたが(^^;)。何事もそうですが、物事が腑に落ちた瞬間というのはほんとうにすばらしい。アルキメデスの「ユーレカ!!」でなくったって(笑)。
それ以来、地面に格子を作るのは、実は格子ではなく枠を作ることだ、と思うようになりました。おそらくビニール袋のオブジェの経験がなかったら、下の写真のような枠を作る根気は続かなかったかもしれません。
写真の木枠の幅は10センチ間隔で、木枠の縦横に鉄筋が通してあります。つまり、外観は格子ですが、構造的には網状です。この網が地面を掘り下げた粘土層に被さるわけです。その状態で枠にコンクリート(正確には砂とセメントのモルタルです)を流し込めば、暗渠を覆うコンクリートの格子網ができあがるとうわけです。
コンクリートが固まったら木枠を取り除き、隙間にバラスを詰めれば、目的とするコンクリートとバラスのテラス(?)が出来上がりです。バラスのおかげで排水は抜群な上に、鉄筋のおかげで4年近くを経過したいまでも、格子にひび割れは入っていません。
庭作りを思いつく前から除草のために鍬を持っていました。はじめはその鍬で庭を掘り下げはじめたのですが、除草用の引き鍬のため、硬い地面を掘るのは大変でした。その様子を見ていた次男が、初任給のお祝いに金象印の鍬を新調してくれました。ちょっと小ぶりですが金属部分が厚く頑丈な打ち鍬です。赤地に金の象をあしらったラベルがまぶしい(^^)。
その後、地面を掘る作業に何日、いや何ヶ月を要したか忘れましたが、体感的には全行程一年間のうち、半分は穴を掘っていたのではないかと思うほどです。はじめのころは、手は豆だらけになり筋肉痛も残り、作業は確かに大変でした。それでも、作業の跡が成果として見えはじめると、なんともいえない充実感、快感におそわれますね。掘った地面を見やりつつ汗を拭き、しみじみと農耕民族の血を引いているなあと思ったり(笑)。そして、風呂上がりの抜群に美味しいビール。
庭を掘りながら小さな発見もありました。私の家はもともと中古住宅で購入し、20年近く住んだあと建て替えて新築したものです。掘り返していると土のなかから、その20年間の家族の思い出が出土するのです。鉛筆、キンケシ、ビー玉、BB弾、フィギュアなどなど。いまはもうその多くを廃棄してしまいましたが、ビー玉だけは水鉢のなかでいまも家族の記憶を止めています。
暗渠のスペースは庭の1/3と書きましたが、隣接する西側に臨時の駐車スペースを設けたいと思いました。このため、実際に地面を掘り下げる部分は庭の1/3より広く、10坪近くになりました。ちなみに、自作の対象となった庭の広さは約23坪です。
いまとなっては10坪を掘り下げるといっても実感がわきませんが、岩盤を控えた粘土層の地面を鍬一本で掘り、その土砂を植栽側に移動して積み上げていく作業はほんとうにたいへんでした。
延々とつづくこの作業を見ていたのは、南側隣地で桃を育てているお婆さんでした。桃作りの手を休めて交わすのは、決まってこんな会話でした。
「あんた、ほんと、穴ばっかり、よ〜、掘るねぇ」
「え、穴じゃないけど・・・・」
「穴じゃろ、掘ってるの。いったい、何ができるんよ?」
「庭を作ろうと思って・・・」
「え、庭、にわっていった? うそじゃろ。穴ばっか掘っとるがぁ」
といって、呆れ顔で笑われたこと、数知れず(笑)。下の写真は、その当時の記録です。
すでに駐車スペースの延長部にコンクリートが張られています。写真の中央下には、溝に小石を詰め込んだ暗渠が見えます。粘土層のいちばん低いところに溝を掘り、小石を詰めて水を溜めやすくしただけの超カンタン暗渠です。ここにたまった水を既設の塩ビの配水管に導くだけという、実にシンプルな暗渠です。右側は、恥ずかしながらのオマケ(^^;)。
暗渠は地面の中の機構です。ですから、意匠デザインの意味で暗渠をデザインするのはちょっと変ですね。しかし、私の場合は、暗渠を設けたことが庭のデザインに大きく影響しました。
当初のプラン図では、水の溜まる部分は石やタイルのテラスをイメージしていました(既出図)。でも、よく考えると、このような作りのテラスがとくに排水に向いているとは思えませんでした。そこで、テラスはやめて、暗渠の表面にバラスを敷き詰めることにしました。バラスの上に降った雨は石の隙間を流れ抜けて、一気に粘土層に流れ込みます。しかし、広い面積にバラスを敷き詰めたのでは、歩きにくいうえに、見た目もよくありません。
そこで、バラスを多用しても問題がなさそうな方法として、バラスで格子を構成することしました。これはおそらく、「スタイリッシュな庭」を自問したころ白黒の邦画に凝っていたせいです。映画に写る伝統的な日本建築や侍の立ち居振る舞いに見られる、直線的でシンプルな意匠の影響を受けたに違いありません。それに、伝統的な格子模様なら、おおきな間違いもないだろうという思いもありました。
地面にバラスで格子を組むとなると、バラスを保持する何らかの枠が必要になります。枕木、石、レンガなども考えましたが、これらの部材だとどうしても格子がスッキリ整然と組めないような気がしました。格子がぐにゃぐにゃでは格好がつきません。そこで、コンクリートで列柱を作りその間にバラスを入れれば、歩きやすく排水もよい、しかも整然とした格子ができるだろうと考えたのです。
この、暗渠とコンクリート格子のアイデアが、このあとたいへんな難工事になろうとは、この時点ではまったく想像していませんでした。
私の家は硬い岩盤の上にあります。何しろ、パワーショベルで土地を掘ろうにも車体が持ち上がり、キャタピラーが空回りするほどなのです。工事に当たった方が「こんな土地、掘れるか!!」と、ウィリー状に持ち上がった運転席で叫んでいたのをいまだに覚えています(笑)。
こうなると、溜まった水を地下に浸透させて抜くことは不可能なので、本来なら庭の雨水専用の排水マスを設けなくてはなりません。しかし、手作りの庭には手に余りそうです。そこで、水溜まりの原因である地中の粘土層を水受けパレットに見立てて、そこから建物付属の排水マスに雨水を導けないか、調べてみることにしました。
簡単な試掘をしてみると、粘土層と雨水の配水管の高さがほぼ同じで、粘土層で受けた水をどうにか雨水マスに導くことができそうでした。この種の排水設備は一般に暗渠(あんきょ)と呼ばれます。暗渠とは、地中に埋没した小規模な水路のことです。庭の場合は、粘土層に掘った溝に小石を敷き詰めたようなものでも機能はすると思います。
問題は、地面を粘土層まで掘り下げることでした。私の庭では、掘り下げる深さは20〜30センチほどでしたが、これを庭全体で工事するのはたいへんな重労働です。何しろ、鍬一本での手掘りですから。そこで、いちばん水の溜まりやすい庭の1/3程度を暗渠に導くこととし、残りの半分を植栽用途に地面をかさ上げし、ウッドデッキの下はもとの庭の地面をそのまま残すことにしました。これだと、暗渠のために掘り下げた土を菜園側に盛ればいいので、作業も比較的楽です。
上段左の絵は、その概念図です。
上段右の写真は、施工後2年ほどして撮影した、暗渠と雨水の排水管の接続部です。もとからあった排水管の途中にコンクリートで排水マスを追加し、その中に暗渠からの水を落とし込むと同時に、配水管の切り込みまでマスの水位が上がったら、配水管に水が流れ込むようになっています。
もともと配水管には屋根から落ちてきた雨水などが流れていますから、庭の暗渠からの水がここで合流します。豪雨のときなどに配水管の容量を超えないか心配しましたが、3年間の実績ではいまのところ問題は起こっていません。
庭を手作りしようとして、いちばんの原動力になるものは何でしょう? それはなんといっても完成後のイメージです。作り上げたものによってどんな楽しみが得られるか、そのイメージが強く明確であればあるほど、苦難は耐えられるというもの。まさに、幻想あっての現実というわけです。
しかし、その幻想として私が思い描いたのは、楽しいパーティーではなく、豊かに実った菜園でもありませんでした。そうした個々の楽しみを思わなくもありませんでしたが、なぜか、スタイリッシュな庭、カッコイイ庭を作りたいという思いが強くありました。何と抽象的な幻想でしょう(笑)。
当時、「スタイリッシュな庭」というテーマで本やインターネットを調べてみてもほとんど情報はなく、専門家に聞いてみたものの、これといった答えはもらえませんでした。即物的な楽しみではなく、なぜこんな抽象的な思いにかられたか、これはいまだになぞです。
ともかく、そんな動機に支えられて庭作りがスタートしたのですが、すぐに切実な問題に直面しました。
「ねえ、あなた。スタイリッシュとかもいいけれど、庭にできる水溜まり、何とかならないかしら?」
「スタイリッシュな水溜まり、ってどう?」
「・・・だ〜め!」
こうして、幻想は萎え、現実の問題が姿を現したのでした。