2月も半ばに「Spring has come!」としてはじめたコーナですが、夏も盛りになったので「庭の花アルバム」に名前を改めました。あなたのお庭にはどんな花が咲いていますか? お便りをお待ちしてま〜す。
この季節になると、タマスダレが毎年変わらぬ姿をみせてくれます。この花を見ると、なぜかモノクロで撮りたくなります。すっきりとした白と姿が、まるで日本映画の女優さんのようです^^
今年も庭のあちこちで生息しているミズヒキに小さな赤い花の穂が付きました。ひとつひとつの花はとても小さくて、風で穂がゆらゆら揺れるため、写真を撮るのもひと苦労。でも、なんとか写真に収めてみました。
こうして拡大してみて、確かに花が赤と白から構成されていて、花の語源となった水引の意味がわかります。
フウセンカズラがいまも庭の入り口を飾っています。今年はじめて、コンクリート格子の、それこそ10センチ角ほどの土壌に植えただけなのに、今年の庭でいちばんがんばってくれました。
与えられた条件のなかで、精一杯の働きをする。そんな健気でまっとうな姿を、どうしても人の人生に重ね合わせてしまいます。
来年もまた。よろしくね。
「今年の」といっても自分で栽培しているわけでもない、野の花です。昨年は9月26日に掲載しています。酷暑の影響で旬の果物や魚など、広範に影響が出ているようですが、こうしてみると野の花は例年どうりなのかな。
ワレモコウは写真のとおり、なんとなく地味でショボイ感じがしますが、この穂のようなものは小さな花の集合体で、構成している個々の花は可憐な姿をしています。その姿をきちんと撮りたいのですが、今年もチャンスに恵まれそうにありません。
庭のアスパラガスに赤い実が付きました。実を採って潰してみると、なかから黒い種が出てきます。写真に収めると大きな種に見えますが、実際は一粒2mmほどの大きさです。
樹から落下して発芽するものもあれば、鳥に啄まれて遠方に運ばれ、芽をだすものもあります。庭の種はどこに運ばれるのだろう。
まだすっかりとは陽の落ちない夕方、家に帰ると玄関先に花のポットが置いてありました。玄関のドアは鍵がかかったまま。ケンも妻との散歩か声もなし。きっと、町内の花置人の仕業です。
以前にも書いたかもしれませんが、「花置人」というのは花盗人の反意語のつもりの造語です。こちらの町内には、目下、お二人の置人がおいでのようですが、盗人はいないようです。
花は、たぶんペチュニアだと思います。夏の庭先でよく見かけます。繁殖力もありそうです。これが育って増えた来年あたり、ぼくも密かに花置人になってみよう^^
今年も庭のあちこちで韮の花が咲きはじめました。咲いた風情は、まるで白い花火。姿はさかさまですが^^ 庭にはたくさんの花が咲きますが、この白花はとても好きです。
食べると独特の風味があり、一生のはじめから終わりまで、おだやかに自分であるところが、なんだかいいなと思います。しかも多産ですね。一生で終わらないところは、選ばれた生き物なのかな。女性のように^^;
ことしはじめて、庭のラティスに這わせたフウセンカズラです。一見、風船の形がホオヅキのようですが、ずっと軽やかで涼しげです。相手が鬼火では当然のことかもしれませんね^^
おなじみの「季節の花300」さんによれば、フウセンカズラの語源は「cardia(心臓)+ sperma(種子)」なのだそうです。今回の写真は、この語源の証拠です。
写真下段の右は、種子に現れたハート(心臓)のマークです。このハートが暗示するその後が、他の写真のように三次元の立体的な心臓の形になっています。語源が、種子から果実まで見事に貫かれています。植物って、ほんとうにすごいなあ・・・。
散歩道の途中に、葉そのものが赤く色づいた花のような植物を見つけ、ずっと気になっていました。写真に納め、図鑑で調べるとどうやらギヌラのように見えます。ギヌラは、園芸品種ではパープルパッションと呼ばれています。
発見した場所に突然表れたのと、周りの状況から捨てられた用土から成長したように見えるため、たぶん、観賞用に育てられていたものを誰かが捨てたものなんでしょうね。草むらのなかで、ひときわ異彩を放っています。
今年も庭にカンナが咲きました。この深紅の赤は青空のもとで見たいと思いつつ、なかなか晴れないが梅雨空が続きます。取りあえず、曇り日のカンナを写真に納めました。薄日に照らされた大きな葉がきれいです。
カンナが咲くと、もうすぐ夏です。夏の光に挑むように、てっぺんに花を咲かせる姿まで、あと一週間かな?