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PUTON 2008/10/04

Shimizuさん、そうなんです。何気ない日常の習慣もその成立をたどると、実に奥深いものがあります。縁側もそのひとつかもしれませんね。

わたしの場合、デッキに常設のテーブルを置いたことにより座卓を利用することはなくなりましたが、庭全体で見ると、日本的な生活様式が残っているところもあります。濡れ縁です。

庭を考えた当初から濡れ縁への憧れのような気持ちがあり、建物の南側にある二カ所の掃き出し窓の片側の方に濡れ縁を設けました。こちらは地面から約40センチのところにデッキ材があり、履物を履いて腰掛けるとちょうどいい高さになっています。その意味で濡れ縁は椅子的です。

しかし、この濡れ縁はメインデッキと段差ひとつで繋がっているため、椅子的であると同時に、床のようでもあるのです。とくに、メインデッキに常設のテーブルを置いてからは、デッキ面は床としての性格が強くなり、濡れ縁も通路的な位置づけになってしまいちょっと残念でした。

そこで、メインデッキでは使わなくなったい草製のクッションを濡れ縁で使ってみることにしました。このマッチングは実に見事でした。これにより、濡れ縁の性格が再び、通路から椅子へと変わりました。実際に利用してみると、ちょっとお隣さんと茶話を交わすようなときなど、とても気軽に利用できて重宝です。

夫婦でお茶を飲んでも、どちらかといえば容易に対決姿勢になれるテーブルとは自ずと気分も異なるような気が(笑)。対面することなく、同じように庭や月や風景を見遣りながらポツリポツリと言葉を交わすうちに、ふと遠い向こうに焦点が結ばれたような想いにかられたりもします。縁側は、そんな情緒をかきたてる、実によくできた仕掛けだなあと思います。

濡れ縁でのお茶の楽しみ、これもまた日本文化の智慧なのかもしれませんね。

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